sahy’s diary

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読書かんそうぶん:バイバイ、エンジェル&サマー・アポカリプス

今回は探偵矢吹駆シリーズの1作目バイバイ、エンジェル及び2作目サマー・アポカリプスでございます。

両作ともフランスが舞台で、バイバイ、エンジェルはパリを舞台に首なし死体の発見から連なる殺人事件について、サマー・アポカリプスは中世カタリ派の秘宝を狙う者への罰の如く黙示録の四騎士になぞらえた殺人事件が起こるという筋書き。個人的には2作目であるサマー・アポカリプスのほうが思い入れが強いですね、語られる思想により深く衝撃を受けました。

1.扱いづらい…もとい、個性的な主人公と魅力的な登場人物

探偵役である矢吹駆は現象学を駆使して推理を行うのですが、はっきり言って大変な変わり者。現象学を実践するために簡単な生活(ラ・ヴィ・サンプル)を実行するこの男は、ほとんどなにも所有せず、摂取せず、借りられる限り最も貧しい宿に住み、余分どころか必要なものまで限界までそぎ落とした生活をしながら、思想にふける。それでいてあらゆることをやってのける完璧超人。マンガの王子様かよ!こんな面倒くさい造形の人物をよくもまあ破綻なく動かせるものだと感動します。1作だけにとどまらずシリーズ化して何冊も出すとなるともう…筆者の技量の高さには脱帽。他にも相棒的存在であり愛すべき常識人であるナディアやマチルド、シモーヌリュミエールが好き。

「—―君は民衆だの革命だのという言葉を都合よく引き合いに出しているだけだ。利用しているだけだ。あの娘を愛せなくて、どうして全人類を愛せるだろう。あの娘を突き飛ばした君は、いつか全人類を突き飛ばすことになるんだ」

至極真っ当なせりふに聞こえますが、すべてを知ってから再び読むとガラッと感想が変わりますね。この言葉を聞きながら主人公は内心鼻で笑ってたのかな。

2.変わっているようでいてクラシカルな探偵像

探偵役が妙な性格の万能超人だというのは先ほど述べたとおりですが、善人とはいいがたい(むしろ一般常識からすると極悪人)キャラクターなのもポイント。犯人について理解しているそぶりを見せながらも勿体つけて教えてはくれず、次々と行われる殺人を止めることなどせず、知ったことではないと突っぱねる。

犯人を知りながら野放しにする人物像はホームズをはじめとした古典探偵ものに通ずるところがあります。みなさんが殺人事件に巻き込まれた時は犯人が分かってるのに黙ってたら犯罪になるからやめようね!

難しいトリックなどは使われていないため、ある程度推理小説慣れした人ならなんとなくわかってしまうかもしれませんが、解説されても意味不明だったり、当然読者に提示されてしかるべき情報が出てこないということもないのでモヤモヤ感が薄いのは良いことでしょう。

3.最大の見せ場、思想対決

本シリーズの最大の特徴といえるのは、実在の哲学者や思想家をモチーフにした人物と意見を交え、あるいは戦わせるシーンが挿入されること。

主人公はヒマラヤにて生命の極限を経験し第一、第二の離脱を得ますが、老師より地上に戻り悪と戦わねば第三の離脱は訪れないと告げられ、”惨めなわたしたちが果て無く蠢く悪と悲嘆に満ちたこの世界に舞い戻り”ます。およそこのことに関連する事柄にしか我らが主人公は興味を示さないという困ったちゃんですが、それだけにいざ思想論争が始まると圧倒的。正直読みにくく何を言ってるのかところどころ訳が分からないのですが、それでも目が離せずページを繰る手が止まりません。

どれが一番というと迷いますが個人的にはシモーヌとのやり取りが好きです。 霊的な離脱の経験の有無というのはひとつの重要な要素のようであり、”離脱した人間が為すべきことは”という言葉から次のセリフが続きます。

「すべてを承認することだ。無辜の子供たちが限りなく虐殺されて行くこの世界のすべてを、肯定することだ。ほんとうは善も悪もありはしない。百五十億年を貫いて流れ行く轟々たる原子の大河だけがある。この流れだけを凝視するその時、人は、歓びと安らぎに満ちて呟くだろう。<すべてよし>(トゥー・テ・ビアン)と」

唐突ですが私は村上春樹の処女作である風の唄を聴けが好きなのですが、その一文に通ずるところがあります。

”「宇宙の複雑さに比べれば」とハートフィールドは言っている。「この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ。」

そうであってほしい、と僕も願っている。”

……要するにそういう宇宙観が好きなだけかもしれない。

推理物の最大の弱点は、一度目の衝撃を二度と味わうことができない点だと私は思っております。よくできたトリック程深く心に残りますが、逆にそれを知ってからだと全く面白くなく、二度読み返す本のリストからは外れてしまいます。なんだか一見おかしな話ですが、推理以外の要素に深く感銘を受けるようであれば、自分の中で何度でも読み返す名作になりうるわけですね。このシリーズはまさにそういった類の作品でございます。